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放送100回を迎えるにあたり、リスナーの皆様と関わってくださった方々に感謝を込めて

僕とラジオの出会い

わたしが小学生の時でした。21時を過ぎると親に「夜遅いのでもう寝なさい。子供は寝る時間よ」と言われリビングを後にしますが、まだまだ眠りたくない。そんな時に自室にラジオを持ち込んで、夜な夜なこっそり聴いていたというのがラジオとの出会いです。

当時、「オールナイトニッポン」「セイ!ヤング」や「ミスDJ」をよく聴いていました。もっと遅い時間になると「走れ歌謡曲」とか。夜の放送はトークがいい意味で過激になりがちなんですが、もう寝なければならない時間なんだけど、子供ながらの好奇心だったりで、みんなが寝ている時間に起きて、大人が聴くような内容をちょっと背伸びして聴いている…という。すっかりラジオのちょっと過激で大人な雰囲気にハマってしまい、ラジオを聴きながら寝落ちしてかかりっぱなしのラジオが枕になっていて朝なんてこともありました。今思うと、自分が好きなことや趣味には、時間を忘れて没頭してしまうということは昔から変わりませんね。

中学の初等からバンド活動を始め、音楽情報を得る先はFMラジオでした。僕にとってはAMラジオは、エンターテインメント、FMラジオは自分が知らない音楽情報を得るための情報ソースでした。NHKの「サウンドストリート」とか「クロスオーバーイレブン」が今の自分の音楽のルーツとなっています。

構想40年、準備期間2ヶ月、ついにラジオDJに

世間的に見れば、50代でラジオDJデビューというのは無謀では?という声もあったと思います。しかし、ずっと憧れの仕事でしたし、他の人のラジオを聴いている時に「もっとこんなこと知っているのに」とか「もっとマニアックな話ができるのに」とか思っていました。

30代・40代の時にローカルFMで番組やりませんか?というお話は何度かあったのですが、なんとなく自分の仕事やプライベートとのプライオリティの中でタイミング的に取り組めなかったんです。たまたま一昨年かな…ふるさと納税のサイトを見ていた時に、ある県で返礼品の中に「ラジオ番組作りませんか?」というのがあって。自分の子供の時からの夢の実現だし、結構本気でやろうかなと悩んでいたんです。そんな時に現在一緒に番組をやっている川島ノリコさんと出会い、とんとん拍子でFMやまとで番組をスタートすることが決まったわけです。

仕事やプライベートの優先順位の中で、ラジオはずっと存在はしていたものの、それが上がることはなく、50代になってある面時間に余裕ができたり、仕事も自分でマネージできるようになってきて、「さぁ何をやるか」を考えたら、ずっと下のプライオリティになっていたものが上がってました。

もう一つは、自尊心そのものの話になってしまうので少し恥ずかしいのですが、自分は色々なことを知っていて、それを発信したいのに誰も取材をしてくれないし、番組にも呼んでくれない。世間は一体どこを見ているんだ?と。完全に自らの驕りですが…

自分で発信するというのは色々あって、仕事でプレゼンをすることも多いし、結婚式の司会とかも何度もしているし、人前に出て話すということはずっと好きでした。ただ、メディアにのせて発信したいという思いはずっと消えずにあったので、だったらやっぱりラジオだよな、というのは根底にありました。このままだと本当はメディアに出て色々な話をしたいのに、そんな機会もないまま人生終わっちゃうのもつまんないなと思って。じゃあもう、自分でラジオやるしかないかなって思ったんです。

ラジオDJへの挑戦は自分にとっての終活

人生100年時代とか言われている中、タイミングとしては早くはありますが、自分にとってラジオDJへの挑戦は終活だと思っています。

既に選曲して放送した曲は二百何十曲ですし、この曲って自分が魂を込めて選んだ曲ですし、リスナーの方にリクエストしていただいた曲なので、僕にとってこのプレイリストっていうのは何にも変えられない宝物。いつか自分がこの世からいなくなった時に、僕という人間がどういう人だったのか?と誰かが想ってくれたときに、このプレイリストが僕自身じゃないかなと思っています。

コレクションとして整理したりプレイリストを作るという行為は自分のためにやるのですが、人のために選曲するってなかなかないじゃないですか。このプロセスが自分にとってはすごく重要で、「どんな曲かけようかな」や、インスパイアされたことに対して「こんな曲をかけよう」とか、曲を選ぶということは詩を書いたり絵を描いたりすることと一緒で、本当に日常が別に見えてくるんです。ふとしたことに感動したり、何かあった時にこれラジオで話せる!とか。それって、人によっては日記やブログ、noteに書いたりっていうこともあると思うんですが、自分にとってはそれがラジオだったんです。その時の感情や思いを音楽と一緒に発信していく。このプレイリストの音楽もそうだし、ラジオのアーカイブが僕にとっては聴くか聴かないかは別として残せるものなんですよね。さっき50代でのラジオDJデビューについての話をしましたが、逆に50代だからこそ、過去のものや年代を振り返って自分で総まとめして発信できるのかなと思っています。

ラジオが与えた影響

僕の番組を聴いてくれていた友人に「ラジオって面白いね」と、社内ラジオをスタートした人がいるんです。会社に提案し、自分で企画からパーソナリティーをやって、社内の人を集めて番組を配信しているんです。現在リモートワーク中ということで物理的に一緒に集まることはないんですが、昼の12時〜13時にネットで配信していてそうすると全国の社員がそれを聴いてくれると。まさしく小学校の給食の時間の放送のような感じで。そういえば、中学生の時は放送委員会で昼休みになると自分で話して好きな曲かけたりとDJのようなことやっていましたね。懐かしいな…中学の放送委員会が僕の原体験です。

大なり小なり、僕の放送が影響を与えているということは嬉しいです。実際に社内ラジオを始められたという話もそうだし、選曲した曲からそのアーティストのファンになりましたとか色々な反響をいただくんですね。ラジオは誰でも平等に聴くことができるメディアで、今まで接したことがない人たちと関わることができるんです。居住地しかり年代しかり職業しかり…。これは僕の人生にとってはすごく大きいことで、どうしても人は歳を重ねると自分が属する属性やコミュニティで固まってしまうので、なかなか今まで接点がなかった人と関わることって難しいじゃないですか。それがラジオというコンテンツを通して、大きく開かれているので、世の中がより幅広く見えたという実感はありますね。

ビジネスモードから「コウヨシザキ」へ

夜12時以降、自室に籠もって音楽を聴きながら、昔聴いた音楽のことなどを調べたりする作業を週何日か時間を取っています。あとは日常の中で面白いことがあったりすると「これラジオで話せるな」とか思ったりはしますね。以前の放送で、トラブルで海外で飛行機に乗れなかった話をしたのですが、Facebookにそのトラブルを投稿した時に、友人から「お前絶対この話ラジオでするだろ。ラジオネタにできると思ってほくそ笑んでるな」ってメッセージがきて。おっしゃる通りです。でもそれって、すごいことだと思うんです。辛いことがあったとしても「ラジオで話せるな」「きっと楽しんでもらえるな」と思うと気が楽になるし、捉え方の問題ですよね。何事もポジティブに捉えられるようになったというのは嬉しい誤算でしたね。

ラジオそのものが自分の日常だと思っていて、毎週火曜夜に放送するということが僕に組み込まれているんです。それは日本でも海外でもどこにいても。ではそれをどうやるかというとテクノロジーが解決してくれるんです。カナダやアメリカとオンラインで繋いで放送したりもありました。海外に行くので何週間分か録り溜めておくということはもちろん出来るんですが、僕としてはそれは嬉しくないんです。公共のメディアとして、リアルタイム性が僕には重要で。当日の世の中の雰囲気を感じ取った上で、話をすることでリアルタイム感とか、同じ空気を一緒に感じ取れるじゃないですか。一緒に雰囲気をシェアすることができる。

ラジオは多くの人がリアルタイムで聴いてると思うんです。家事をしながらとか運転しながらとか「ながらメディア」として生活に馴染んでいて。だからこそ「今」を届けるということは大事なんじゃないかと思っています。

心に残る放送について

最近だと、2020年の夏にコロナによってスポーツや音楽をやっている高校生が大会などが中止になってしまったことで、プレーしたり、披露する場が無くなってしまったということがありました。それを元気付けようと長岡成貢さんというプロの作編曲家の方がプロのミュージシャンや歌手を集め、曲を作り、それを著作権フリーで皆さんに差し上げます!がんばってください!と元気づけられる曲を作られたんです。そのお話を聴いて、本当にすばらしいことだなと。自分として何かできることはないか?と思い、ラジオでかけましょうよと提案し、出来立てホヤホヤのその曲の初披露を僕の番組でやってもらったんです。それは僕としてはすごい感動的な瞬間で、ラジオやっていてよかったなぁと心から思いました。

もう一つは、川島さんのサプライズバースデーの回ですね。あの時は川島さんの親友の唐橋ユミさんがまさか、大和まで来てくれるなんて思っていなかったし…サプライズも大成功して面白いことできたなぁと思いました。僕は人を驚かすとか、人を楽しませるということがめちゃくちゃ好きなので、こうしたサプライズ的なことは元々好きだったんです。なので、偽の台本を用意したり、いろんな人を巻き込んでラジオであんなことができちゃって本当に楽しかったです。

あとは、コロナ禍でみんな、おうち時間が増え日頃忙しい経営者やメディア関係の方々が気軽にリモートでゲスト出演いただけるようになったこと。最近はご無沙汰している友人・知人に挨拶代わりに「今度ラジオで近況でも聞かせてください」と言っています。また、リモート収録もコロナ禍以前から遠隔で国内・海外から番組の収録をしていたので、すんなりと始めることができましたね。あわせて、FacebookやYoutubeでのリアルタイム配信も始めていて、周りからはこれはテレビではなく、映像付きラジオだねと言われています。

いつも聴いてくださっているリスナーのみなさまへ

ひとつ目は感謝。人生の貴重な時間に僕の番組を聴いてくださっているということへの感謝。

ふたつ目は、この番組が始まった時、契約上、三ヶ月か六ヶ月の最低契約期間で考えていたんです。何ヶ月かやったら、自分の気持ち的に満足できるのかなと思っていて。始めてみたら、リスナーのみなさまとの関わりもでき、さすがに3ヶ月で辞められないなと。そのあとは「まだ辞められない」「まだ辞められない」という自動更新状態。今は100回やったら200回、300回やるという気持ちですので、リスナーの方々には末長くお付き合いいただきたいなと思っています。

みっつ目は、リーチをもっと増やしたいですね。今は、FMやまと一局で毎週土曜に再放送もしていただいてますが、コミュニティFM・ローカルFMって日本中にたくさんあるので、近くのラジオ曲や地方のラジオ曲とかでかけてもらえるようになると嬉しいです。インターネットで配信し、いろんなリーチをかけ非連続に拡散していくだけではなく、やはりラジオ局を通じてちゃんと地元で認めてもらい九州とか沖縄とか、また海外も。距離や時間を超えて繋がるようなメディアになったら嬉しいなと思っています。